رَبَّنَا اغْفِرْ لَنَا ذُنُوبَنَا، وَإِسْرَافَنَا فِي أَمْرِنَا، وَثَبِّتْ أَقْدَامَنَا، وَانْصُرْنَا عَلَى الْقَوْمِ الْكَافِرِينَ.
رَبَّنَا اغْفِرْ لَنَا ذُنُوبَنَا وَإِسْرَافَنَا فِي أَمْرِنَا وَثَبِّتْ أَقْدَامَنَا وَانْصُرْنَا عَلَى الْقَوْمِ الْكَافِرِينَ
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「我らが主*よ、私たちの罪と、自分たちの(宗教上の)事における私たちの行き過ぎ[1]を、お赦し下さい、そして私たちの足を堅固にし、不信仰者*の民に対して勝利をお授け下さい」。
形式:動詞「イグフィル(اغْفِرْ)」「サッビト(ثَبِّتْ)」「ウングスル(انْصُرْ)」。戦闘の最中、預言者たちの敬虔な仲間たち(リッビーユーン)が捧げた祈りである。勝利を願う前に、自らの罪と行き過ぎを認めている。
アブドゥッラフマーン・アッ=サアディー師のタフスィール
次にアッラーは、彼らの言葉と主への助けを求める祈りについて述べて、こう仰せられる。「 彼らの言葉は……ただ、こう言うことだけであった」。 すなわち、彼らが置かれた困難な場面において、彼らはこう言ったのである。「 我らが主よ、私たちの罪と、自分たちの事における行き過ぎをお赦しください」。 行き過ぎとは、限度を越えて禁じられたことに踏み込むことである。 彼らは、罪と行き過ぎが見捨てられることの最大の原因の一つであり、それらを捨て去ることが勝利の原因の一つであると知っていた。
そこで、彼らは主にその赦しを求めた。 さらに彼らは、忍耐のために尽くした自らの努力に頼ることなく、アッラーに依り頼み、敵である不信仰者たちと対峙する際に足を堅固にしてくださるよう、また彼らに対して勝利を授けてくださるよう求めた。 こうして彼らは、忍耐とその反対を捨てること、悔悟と赦しを請うこと、そして主に助けを求めることを一つにした。 ゆえに、アッラーは彼らを勝利させ、この世と来世において彼らに良い結末をお与えになった。
イマーム・イブン・カスィールのタフスィール
すなわち、彼らの口癖は、「我らが主よ、私たちの罪と、自分たちの事における行き過ぎをお赦しください。そして私たちの足を堅固にし、不信仰者の民に対して勝利をお授けください」という言葉以外にはなかった。
アル=バガウィーのタフスィール
アッラーの御言葉「彼らの言葉は……」について。 この句は「カーナ(كان)」の述語であり、「彼らが言ったこと」がその主語である。 その意味は、彼らの預言者が殺されたとき、彼らの言葉はただ、「我らが主よ、私たちの罪をお赦しください」と言うことだけであった、ということである。 すなわち、小さな罪を。「 そして自分たちの事における行き過ぎを」すなわち、大きな罪を。「 そして私たちの足を堅固にしてください」すなわち、足が揺らがないように。「 不信仰者の民に対して勝利をお授けください」。 つまり、ムハンマドの教友たちよ、あなたがたも、なぜ同じように行い、同じように言わなかったのか、ということである。
『サヒーフ・アル=ブハーリー』(第2824番)には、戦闘における不屈の姿勢と、厳しい試練の際にアッラーへ誠実に祈り求めることの徳が伝えられている。